渡した和菓子に優しさが包まれてて、誰かの何かの助けになっているかも、という話。
会社のオンラインイベントで、新入社員の女性が、
「オンラインの仕事は、とてもモヤモヤする」という意見がありました。
私の勝手なイメージは、若者はオンラインに慣れていて、ベテランが慣れてなくてモヤモヤしている状態、だったので、とても気になった。
そして直感的にSOSのサインのようにも感じました。
ちょっと気になるので、一回お話ししてみようと思い、オンライン会議をしたところ、
・入社以来、一人暮らしで、ずっとテレワークでほとんど外出もできていない
・上司が忙しく、自分に時間を割くことができないのも理解している
・忙しいからプライベートの情報や雑談する時間がない
・チームで食事は行ったことがない
・チームメンバーのご家族でコロナもしくは濃厚接触者の方がいると誘いにくい
よくある話、という感覚もあったが、比較的テレワークの準備が早く進んでいた会社なので、対策はお互い気を使っているのだと思っていたので、意外であった。
また、会話の中に被害者意識のようなものはなく、仕方がないこと、として受け止めているが、ずっとこのままでいいのか、とモヤモヤしていたようだった。
「今度、会社にきた時、ランチでも行こうよ」
私は割と気楽に言えた。実際、このコロナの状況で気分転換に、時々友人とランチに行く。夜の飲み会はほとんどなかったが、会社の近くで対策してあるお店であれば、少人数で行くことは違和感はなかった(業種や役職で異なるのも理解している)
全く違う部署の人に言われたのが新鮮だったようで、快く返事をくれた。
会社の近くの洋食屋でおいしいパスタを一緒に食べた。
実際、初対面だけど、親近感はあって、悲壮感は感じられなかった。私は不思議だったのが、職場の人とは話にくくても、新入社員の同期同士、あるいはお友達と遊んだりしているのでは、と思っていたら実際は違った。
仲は良いし、連絡も取り合ってる。でも、同じ会社で同じ状況だから、会おうって言いづらい。人によっては会ってもいい、と思っていても、誰かが外出できない・しにくい状況にあると誘いづらい。そして、誰かと誰かは会っているけど、私は誘われてない、という状況にはしたくない。
これを聞いて、職場の人も同期の友人も誰も悪くない。悪くないからこそ、もやもやを感じて、孤独になっていくのかもしれない、善意が引き起こす孤独、という状況なのだと。
「また何か食べたくなったら食べにいきましょう」
そんな話をした後、家で作ったカステラ饅頭を渡した。このために作ったものではなく、完成度はまだまだだったけど、家にあって渡せるもの、で持ってきた。
「ありがとうございます。親に写真撮って送ります」
いやいや、そんないいものではないし、親も「何の会社入ったの?」とびっくりするはず。と心の中では思っていたが、このまんじゅうというGIFTが、何か人の心に触れる食べ物となってくれれば、お菓子を作ってて良かったなと思います。
美味しいものを食べた1日、として楽しい記憶に残る日になっていれば嬉しいし、
何かの違和感に気づき、アクションしたことがGIFTになっていれば、自分にとっても大切な日だったと思います。
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